
ポーラ美術館にて COLORS
写真作品というこのこの作品がとても印象的だった
まさか自分がカウンセリングの領域の仕事をするなど、思ってもみなかった。
カウンセリング、カウンセラーという言葉は、母が臨床心理士であるがゆえ、子どもの時からとても身近であったけれど、自分の人生には無縁というか、他人ごとだった。
そもそもデザイナーとかクリエーターとか、デザインとかアートとか、芸術という分野の方が自分の中には多い要素だと思い込んでいたのだから。
だがしかし、自分のキャリア特性などテストしてみると、芸術系も比較的高いのだが、なんということか、研究系のスコアが高いと出る。
できるだけお勉強したくないと思っていたような私が、まさか、という結果で信じがたかったけど、何度かやっても同じだったから、どうもそうなの?と自問したな。
40歳頃だろうか。初めてヨガ数秘学に出会い、自分のチャートを描いた。
すると人生の目的であるパーパスナンバーが「4」。54歳以降に開花していくエネルギー。
「4」はニュートラルマインドの数字。職種でいえば建築家や構造家、カウンセラーなどがあがる。
自分にはしっくりこない数字だと率直に思った。なにが「4」と導いているんだろう。
コロナの間に、いろいろと考えたのか、考えなかったのか、何か思考の変化があったのか。
おそらく2020年くらいから少しづつ変化の兆しがあった気がする。何がきっかけかということではなく、漠然と考える中で、少しずつ神経回路の1本1本がつながろうという方向性を帯びてきたような感じだろうか。
具体的に動き出したのは2021年。2021年は人生で初めての「うつ」を体験する。軽度ではあったけど、未経験の感覚に沈み込んだ。
結果的には、その事件が私の背中を押した。
今思うと、私が人生の目的に進むために、神さまが私に、経験したことのないことを見せてくれたのではないか?と思っている。
自分の人生であっても、どこでどうつながるのかなど未来の自分しかわからない。
ならば、現在の自分があれこれ心配したり、不安に思ったりしても、大きなことではないのだ。
ぼんやりと考えることを、なかなかやる機会も時間も作っていなかった自分に、コロナ禍の遮断された時間は、実は意味のあるものだった。
3月の日経新聞「私の履歴書」は、尾身茂先生の話だった。一か月とても興味深く、毎日楽しみにしていた。
世間がアレコレいう最中のご苦労も含め、剣道に向き合われるお話や人生、ライフキャリアに対する姿勢もとても学びが多かった。
事の本質はその渦中真っ只中においてはあまりよく見えない。異常時であるとついその瞬間に何か明確な答えや正解を求める気持ちが前に出てしまうが、少し時間をおいて冷静に見る気持ちと姿勢が、あらゆる物事において冷静な考察ができる大切な要素だと、あらためて感じいった。
人やことの批判は簡単にできる。
その本質、真実はどこにあるのか。
つねに本質を真ん中に据えて物事に向き合う、その意識と姿勢を最上位においておく。大事なことを再認識させていただいた。

これはいつかの夜明け。今朝はまだ太陽が上がっていなかった。
しばらくぶりの早朝用事を済ませるべく、早起きの朝。まだ暗い時間。
5時頃にはもう明るくなってきていることに、季節の移り変わりをあらためて実感。
夕方も18時でも明るさを感じる最近なのだからと思いつつ、
春分を過ぎて夏至へむかう季節なんだと、いきなりワクっとした気持ちになった。
起きるときには、相変わらず自分の中でアレコレ言い訳をして、後回しにしようとする様子の自覚がある。
予定通りに行くぞという気持ちと、今日でなくても…という気持ちが45%ずつみたいな感じだろうか。
アレコレ言い訳して、言い訳して、、、
行ってみて、やり終えた時の達成感や安堵感を想像して、想像して、、、
朝の短い時間に、頭の中はほんとうにあちこちに思考を巡らすものだと感心する。
えいやと起きて、さっさと出かけた。
うっすら明るくなってきていた。まだ肌寒いけど、冬のそれとは全然違う。
しばらくこの感覚を忘れていた。
自然のサイクルから遠ざかっていたのだと気がつく。
朝は道も空いていて、特に今朝はスムーズだった。
数日ぶりの快晴。
とても気持ちのいい日だ。
4月から再スタートを切った、このブログ。
4日目。

すでに終わった面談でのことだけど、とても印象的な言葉。
「思ってたのと違う」
転職してきた彼女、結局5か月で次の職へと去っていったのだが
面談の中、この言葉を何回聞いただろうか。
思っていたことと違うことなど、世のなかにはたくさんあるし、
そんなものだと思えれば「違う」ことにフォーカスしている間もなく、世のなかどんどん進んでいく。
20代前半の彼女には、自分が対象に抱く期待値がとても大きかったことは話から伝わってきたのだが
それにしてもそのすべてを「思ってたのと違う」という言葉がまとめていく。
そんなに思った通りの世界があると思うものだろうか。
私が彼女と同じ年頃に何を思って仕事していたのか。
たぶん、そんなこと考える余裕もなく、毎日押し寄せるやるべき仕事に必死という、言葉通りの時間だったと思う。
よくも悪くも任せてもらえることが多すぎて、毎日12時間以上仕事していた。通勤時間を除いて。
体力があったから、その後明け方まで飲みに行き、始発で帰宅しシャワーを浴びて再び出勤するとか、本当にやっていたのだからすごいものだ。今では想像できないけど。
相手や仕事への「期待」というのは年齢関係なく付きまとうものだとは思うけれど、過度な期待はいいことをもたらさない。
あの面談で出会った女性は、確かに環境的にも彼女がそう思わざるを得ない状況が発生していた。しかもそこには、人の感情が操作している事実があらわとなっていたのも確か。
個人のもつ、「過度な期待」はコントロールできた方がいいのは確かだけど、
職場の環境がそうさせていることをオーナー側が自覚する必要もあるし、そもそも、感情むき出しで自分よりもうんと若い人に対して強圧的な態度を示す姿勢には明らかな問題があることを、本気で自覚してほしいものだと切実に思う。
それでも、立場として雇われている側が弱者で、オーナーは圧倒的強者。この関係性は一生変わらないわけだから、適切な判断を雇われている側が選択しなければ、事態を改善する方法は見えにくい。
今回、その選択を実行するタイミングで、危うくおかしな第三者が登場しそうになった。
第三者でも適切な役職の人物である必要性を事前に伝えることができたから良かったが、
正直、私のような役職の人間がいない環境であれば、その良からぬ第三者が登場していたかもしれない。
世の中には、偏った正義で、物事を一見整理しようとする行為によって複雑化してしまうことを、是として考える人がいるものなのだと、あらためて思った。
新年度始まり、4月1日付けで退職代行を依頼するケースがあるという新聞記事を目にした。
思わず、自分の新入社員時代を思い起こしてしまった。