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大吉朋子 ブログDesigns854
2025.09.23

秋の朝に思ったこと。

9月23日、秋分の日。
いつ頃からか、この日がとても好きになった。
確実に朝は秋の空気。17度だったけど、まだ半袖のTシャツでOK。歩いても、もう大汗はかかなくなっていて、少し寂しい。

少し前にあった出来事。その時に思ったことを書き留めておこうと今朝思った。

人の何気ない言葉が、時に刃物となって人の心を傷つけているということ。
悪意なく、ちょっとしたノリのようなところもあったのかわからないが、
ある人は半年もの間、上司から言われた言葉に心の深いところで苦しみながらも、それでも仕事だからと、本当にいつも気丈にふるまっていた。
が、いよいよコップの水があふれ、仕事を続けることができないと決断した。

人に向けられた言葉は、決して消すことはできない。
どんなにその後良い言葉を紡いでも、一度の強い言葉によってすべてが決まるといっても過言ではないと、私自身の体験でも思う。

言葉を扱うとき、もちろん相手との関係性にもよるから一概には言えない。
ただ、職場や仕事上で生じる言葉のやり取りでは、NGかそうでないか、明らかなことが多い。

先日の面談で、その方から「半年前に言われた言葉が今に至る引き金だったと思う」と聞いた時、面談中にも関わらず不覚にも涙が出た。
これまでもひどいと思うことは数えきれないほどあったが、今回のそれは次元が変わる。人を思いやるどころか、人間の尊厳そのものを揺るがすに値する言葉。言い出しにくいことを伝えようとしている目の前の部下に吐き捨てる上司。人を診ることを生業にしている人間の口をつく言葉とは信じがたかった。
人間の心に沸きあがる歪んだ感情の生々しさにも、深い怖さを覚えた。

今の自分がその言葉を言われたら、堂々と反論するだろうが、その方はまだ若い。とても受け止めるのにしんどかったと思う。
そして、その方が言ったのは「雇われの身だから仕方がない」というセリフ。
とてつもなく心が痛んだ。

もちろん、その通りではあるのだが、だからといって、許されることではない。

言葉によって救われることもあれば、
大きな痛みと傷を負うこともある。

顔の見える相手からの言葉は、どれほどの大きさとなるのか。
自分にもこれまで反省すべき多くのことがある。過去の自分は反面教師だ。
だがしかし、自分よりも弱い立場にある人へは、酷い言葉はつかわない。

先日の思いは、あらためて胸に刻み、自分が発する言葉はよりよいものにしたいと心から思うし、
そのように努めるよう、学び続けなければと深く思った。

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