2025.04.26
「つくる世界」をもつ人の言葉。

初対面でも、同じ”言葉”を持ち合わせている人に、ごくごくまれに出会う。
同じ日本語、言語を使っていても、言葉のかみ合いに違和感を持つことがある。
言葉の端が雑だったり、適当な気持ちが表れていたり、言葉を大切にしていないというか、当たり前のように取り扱っているというのか。自分の世界の言葉がOKだなという前提で話す人とか。
人は意外と、言葉の先端に宿るものを敏感に察知していると思う。
すくなくとも、私はものすごく敏感に感じる。
そんな中、キャッチボールがスムーズだったり、同じ尺度の言葉を使っていたりを感じることがある。その時の会話は、実にスムーズで、無理がなく、正直な言葉が紡がれる。
なぜなんだろうと、その人の背景を少し聞くと納得することがある。
そこには、描いたり、書いたり、手を動かして作ったり、創造したり、奏でたり、歌ったり…など、「つくる世界」をもっている人たちなのだと気が付く。
創造的な思考の世界とはまた違う、現実的に身体を使って何かを生み出そうとしてきた人は、細かく見ればもちろん多様ではあるけれど、大きなくくりで同類の言葉を持っている気がする。
共感するとかしないとかは別として、まずは空気を吸うように言葉の理解が進むという感じ。
同じ言葉を持つ人に出会うと、いいなあと思う。
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