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大吉朋子 ブログDesigns854
2025.04.21

からだの感覚は仕事にもいきる。

グループレッスンでのこと。

ピラティスとHIITの掛け合わせで、少しきつい動きのある、アクティブなレッスン。
このきつさを、自分ひとりで生み出して継続するのはさすがに難しいから
このレッスンに参加することは毎回とても楽しみ。終わった後の達成感、今日もできたという自己満足感は、幸福感にもつながっていると思う。

そんな中、つい、周りが見えると観察する癖が出てしまう。自分の体に集中する少し前に観察思考が働く。

トレーナーがガイドする言葉通りに体を動かせばいいし、その体の配置をすればいいだけのはずが、よくみると完全な自己流でやっている人、またはその立ち位置なりに意識が十分に向いていない人が、なかなかの人数いる様子。動きができないのか、たんに雑なのか。個々の体の内部はわからないが、どうも人の声を聴いているようで聞いていないとしか思えない動き。

聞いているとしても、聞いていることと、それを体で表現することはもちろん個体差で違いが生まれるものだが、どうもそこでもなさそう。聞いているようだけど、聞いていない。

その光景を眺めて思うのは、自分の体の動かし方ひとつに微細な意識が向けられることは、おそらく仕事の微細な部分にも気が付けるはず、ということ。大雑把にしか見れなければ、ふだんもそういう視点になりがちだろうと。一見、形ができていそうでも、ところどころに手抜きがあったり、慣れでやっている感じだったり。まさに、仕事にも通じる姿勢がそこに映るように見えてならない。私とは全く関係のない人たちなのだから、あくまでも自分の観察記録。

自分の体に対して感度の高い人は、やはり冴えている気がする。
おそらく間違いない。

カラダの動き、動かし方、意識の向け方によって、見えない部分が見えることはおおいにある。

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