今日のこの記憶を忘れないように書いておく。
あれほどまでに、かたくなに自分が認知症になることを恐れていた父が、とうとう認知症になった。
猛暑の時期のあたりから食欲をおとし、体力を低下させ、自力で歩けなくなるまでになり、全盲も手伝って、あれよあれよと弱っていった。
あまりにも急展開すぎて、(実際には毎日確実に何かあるわけだけど)気が付いたら車椅子が当たり前のようになり、介護用ベッドが運び込まれ、大きな手すりががっちり取り付けられ、おむつを切らさないように買っておくというのが日常に。
目が見えないというのは、おそらく見える人からは想像もできないほど体力も気力も使うものなのだろう。さらに、高齢になると、その消耗の大きさはとてつもなく大きいのか、はたまた、だからこそ気の持ちよう、考え方の方向性がとても大事なのか。
とにかく、目の前の景色を眺めつつ、やるしかないからやることをやるわけだけど、こんなにも人のエネルギーは急展開するものなのか。
毎日不思議でならない。
父は毎日のように3km4kmと歩いていたのに、歩くことをやめたとたん、みるみるうちに弱っていき、太ももなんか筋肉がごっそり落ちている。
なかなか自分ごととして受け止めるのは、現実が目の前に現れないと難しい。
大変は大変だけど、大きな変化が静かに進んでいく様には、どこかものすごく高いところから俯瞰してみている自分もいる。これも不思議な感覚。


9月中旬の、窓からの花火
10月になった。
またしても「あっという間」という感覚が残る9月が過ぎ去り、一日変わっただけで違う月になる。
10月は翌年のエネルギーを映す一か月。
気負うことはないけれど、なんとなく意識が少し強くなる感じはあるだろうか。
雨スタートの朝。
みんな傘をさして歩いていたけれど、キャップと長袖のブルゾンでいつものウォーキング。
雨の量を確認して、無理なく歩いた。
雨の日は犬のお散歩も少なく、すれ違うひとが少ない。
車は少し多めか。
2025年の10月は「スタート」のはじまり。
今月はどんな時間にんあるだろう。
今朝は、昨夜寝る前の読書でやや交感神経がONになってしまったのか、
なんだか熟睡感が少なめだった。
感情移入が強い私には、寝る前の小説読書は向かないかなと思った。
いい一か月にしよう。

彼岸花
秋分を過ぎたのだから、当然といえばそうだけど
彼岸花が咲いていることに、とてもびっくりした。
自分の時間経過に対する感覚が鈍くなっているのだろうか
空気もいつの間にか秋の気配に確かに移り変わっていて、いつ夏が終わったんだろう、とか真剣に考えてしまった。
今日は亡き祖父の生まれた日。
105年前のことなど想像もできないけれど、あの威厳に満ちた祖父にも子供のころがあったのだと
この日はふっと頭をよぎる。
もう少しで10月になる。
今月、何か手放せているだろうか。
余白や古い思考や感情は今月でいったんおいていかないと。
もうすぐ新しい時間のプレオープンがやってくる。