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大吉朋子 ブログDesigns854
2025.05.31

他者を眺めることで気がつく自分の内側

カナダ ケロウナ SANDHILL WINES

KELOWNA SANDHILL WINES とってもかわいいワイナリーだった♪

先日の、時々出かけるスーパーでのこと。
いつもより遅くなってしまった時間帯、スーパーに到着すると車がほとんどなく、お客さんが少ない様子。
店内に入ると案の定、人の気配があまりなく、落ち着いて買い物ができる雰囲気で少しほっとしていた。

しばらくすると子どもの声が聞こえてきた。
私より後から入ってきた家族のよう。
初めは気になることなく声を聴いていたのだが、だんだんとお父さんお母さんの声も加わって、
私のいる場所に近づいてくると、かなり大きな声で、まるで家で話しているか、それよりも大きそうな声で、2人の大人と子どもが何かしゃべっている。

「話している」というのではなく、「しゃべっている」という様子。
各々が会話していそうで、会話になっているようないないような。
ただ、声の音量がとても大きい。ずっと何かを言い続けている、ご夫婦ともに。

ついいつものクセでその様子を見るともなしに眺めてしまう。
それなりにきちんとした素材の服や靴を履き、豊かな暮らしをされている雰囲気が漂う。
ただ、どうもその会話が耳に入ってくると、だんだんと不愉快な気持ちになってきた。
静かな店内に響き渡る、まるで自分たちしかここにいないかのような声量での話し声。
挙動不審というのか、何か周囲に要求するような動き。
(わざわざ通らなくてもいい通路をどうにかしてそこを通りたいような動きをし続けるお父さん)
わずかに自分にもその挙動が降りかかりそうになったものの、間一髪そこはすり抜けた。

私に対して何も起きていないし、まったく関わりのない人たちであるにも関わらず、彼らと同じ空間にいるというだけで、私はとても不愉快な気持ちになった。
そして自分に聞いてみた。
「何が自分を不愉快にさせているんだろう?」

帰路の車の中、少し思い起こしてみた。そして、一番気になったのは、その言動などから醸し出される「品」のようなものたと思い至った。
「品」は目には見えないし、何だと言い切ることもできないけれど、確実にその人物や物から醸し出されるオーラや雰囲気として私たちは察知している。とても複雑なニュアンスが含まれていると思うが、「あの人は上品だね」とか「これはとても品があるものですね」、「気品あふれる〇〇」など、わりと日常的にそのニュアンスに触れている。

大げさではあるけれど、どんなに身なりが整っていても「品」のない人は何かを醸し出しているものなのだ。そして、まとうオーラは、よくも悪くも隅々まで行き届くもので、所有するものにも表れる。帰り際、その家族の行く末を眺めていたら、私の想像はぴたりと当たった。たぶん乗っている車は〇〇だろうと思ったら、本当にその通りだった。

これはその人たちやその車がいい悪いの話ではない、私の勝手な見立ての話。そして、見立てた人物像とそこから発されるエネルギーと選ばれているものは、ひとつひとつ明確に理由が表れるのだと、妙に腑に落ちたという話。

人間観察も続けていると、意外と精度が上がってくるもので、こういった感覚や気づきは実に面白い。
「不愉快」という気持ちを感じたところから「なぜ?」に発展し自問してみると、不愉快はただの不愉快では終わらず自分が考えるテーマへとすり替わっていく。そしてこれは、感情的にならない方法としても実はとても有効でもある。「その理由」を自分に問うことで、自分の感情すら客観的な対象になる。

それにしても、店内でもレジで会計の時も、不思議なほどタイミングがかぶってしまったその家族。
大人はもう仕方ないと思うが、こどもはやはり大人を見て自分のものさしを決めていくわけだから、あれは根深い課題があるだろうなと、まったく余計なことまでも想像してしまった。

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